世の中のことはGoogleやWikipediaで調べれば、大抵のことはわかる。確かにいろんな情報を見ることが出来る。専門家や知識人が情報配信してくれたりするので、かなり詳しいことまでわかります。
でも、情報をたくさんたくさん得ることで、僕らは本当に「わか(ってい)る」んだろうか。やっぱり僕は自分の足で歩いて、目で見てみないと何もわからないと思う。
これは立命館大学の地理学専攻で学んだなかで一番大切なことでもあります。
地理ではまずフィールドワークのやり方を学ぶ。電車で出かけて、教授の後ろをカルガモの子どものようについていく。そして、地図上ではまっすぐの道が、実は曲がっている事実を知る。地図上で等高線が連なっている丘が、どういう形をしているのかを見る。地図上で同じくらいの密集度でも、近鉄の方はお店も人も多いのに、JR沿いはさびれていて人も少ないことを知る。
その後も地理学では、徹底的に自分の足で歩いて、自分の目で見ることを、とことん体にしみこむようほどに繰り返し教えられたんです。
自分でその場所を訪れて、自分の体で感じることっていうのは、一番理解に近づけることだと思う。今も僕は何を考えるにも大切にしていること。
2007年9月、僕はシンガポールからマレーシア、タイ、カンボジアの四カ国、一ヶ月かけて東南アジアを縦断してきたんです。
発展の度合いの違うこの4つの国を歩いて、人々と乗り合いバスに一緒に乗り、話したり、屋台でご飯を食べたり、お湯も出ない鉄の味のするシャワーしかない宿に泊まったり。そんな生活を一ヶ月続けていると、たくさんの報道やネットで取り上げられて知っていたはずのことも、まったく違う衝撃を持って、どんどん、どんどん僕の目に飛び込んできます。そして、日本で認識されていることとは乖離した事実もたくさん知ることが出来た。
新興国の発展や、発展途上国の貧困問題、衛生問題、最近では食糧問題についてたくさんの議論がされているけど、この旅は何よりも自分の理解を深めたし、外から見た間延びした解決方法ではなく、そこでは人々は何を必要としているのかを、少しではあるんだけど感じることが出来ました。
今日この文章を書いたのは、昨日大阪のあいりん(愛隣)地区を訪れたから。
最近は年金問題やガソリン問題なんかで遠くなっているが、ちょっと前まで、格差社会という言葉は連日テレビに溢れていました。日雇い労働者という不安定な労働形態の不幸な話は数多く多く取り上げられていた。日本のピラミッドの底辺のように表現されたし、僕もそうだと思っていたんです。
僕が訪れたあいりん地区では主な就労構造が、この日雇い労働者だった。そして、そこには働く場所がなく、住む場所もなくて、何もすることなく話をしたり、横になっている3000の人たちが生活していました。
ただ、街に悲壮感はあまり感じなかった。就活で見た充実感を感じていないサラリーマンたちの方が、断然死んだような顔だなと思いました。むしろ逆に、地区では活気すら感じることもできた。衛生や治安の状態は一般的に見ると良くないけど、バンコクの裏手よりはずいぶんいいし、地区にはコミュニティが形成されていて、恵まれてはいないけどちゃんと生活しているのかなと思った。
大きな衝撃でした。自分は何にも知らなかった。やっぱり自分の目で見ることは忘れちゃいけない。
まだまだ僕が感じたことは書き足りないけど、東京行きの夜行バスの時間が迫ってきたので、ひとまず今日は筆を置くことにしようと思います。